<もう一つの朝鮮> がんばれ日本!その1
北朝鮮と国境を接する中国には、200万人の朝鮮族が住んでいて、多くの子供達が中学・高校で日本語を学んでいることをご存じでしょうか?
その国境地帯に年に一度、日本人が訪れて子供達に言葉を教えています。
<リポート>{延吉空港}
3月半ば寒波の続く延辺朝鮮族自治州に、今年も日本人がやってきました。
この地域の子供達と文通を続けている15人で、日本語の授業を手伝うために来たのです。
加藤智恵子さんと李松淑(リ・ソンシュ)さんも5年前から文通を始め、当時高校2年生だった李さんは大学を卒業、就職口を探しています。
{抱き合う2人}
{バス中で「故郷」合唱}
李さんの学費を援助してきた加藤さんはこの晩若い頃の指輪を卒業記念としてプレゼント。李さんはいっしょに学校めぐりをすることになりました。
翌日訪れたのは山の中の町にある学校。中学校1年から高校3年まで900人のほとんどが日本語を学んでいます。
<顔>
「この教室では今、日中文通クラブのメンバーを迎えて日本語の授業が行われています。
生徒たちが日本人を実際に見るのは初めてだということです」
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<リポート>
いよいよ教壇にたっての授業です
生徒「一日何回温泉にいきますか?」
会員「年に何回かですよ」
生徒「サッカーは人気がありますか」
会員「野球が一番、サッカーは2番目です」(アクションで生徒笑う)
対話の時間には、いまの日本を伝えようと芸も飛び出します。
<リポート>
朝鮮族の子供達が日本語を習うのは、人民共和国成立後、この地域には日本語以外外国語の先生がいなかったこと、そして今は朝鮮語の文法が日本語に近く大学受験で有利になる、
などが理由なのだそうです。
生徒on「私はいま、とても日本人に日本人に行きたいんです。日本に行きたいんです!」
先生on「歴史では日本は悪いとは教えていません」「だって過去のことですから」
<リポート>
次の日は、いよいよ国境です。日本語専門学校の生徒が出迎えてくれました。
北朝鮮側を撮影してはいけない、という国境警備隊の目を盗んで写した北朝鮮の映像です。
ここに住む朝鮮族は100年前の清の時代、洪水や旱魃を逃れて朝鮮半島からやってきました。
今でも、北朝鮮に親戚が多く住んでいます。
<顔リポ>
「北朝鮮との国境図門です。中国の親戚を訪問した人たちが食料を持って、北朝鮮へ帰ろうとしています」
<リポート>
地元の人の話では、今年は特に飢えがひどく何千人もの人々が、密入国したそうです。
戸籍を作るのも金、国外に逃げるのも金、北朝鮮に戻るのも金。
改革開放の中国と極貧の北朝鮮の国境は、金さえあれば突破できるとのことでした。
子供達に北朝鮮の印象を聞いてみました。
女生徒「あの国の指導者は、非常に優秀じゃなければならないと思います。私たちの国の朱鎔基のように優秀じゃないと」
男生徒「食料問題は特に大変です。毎日お腹をすかしてますから」
Q「北朝鮮はどうしたら変わると思いますか?」
男生徒「外国に開放するべきだと思います」
<リポート>
加藤さんと李さんの別れの日がやってきました。李さんはこれから日中合弁企業の就職先を探すことにしています。
Q「文通は役にたちましたか?」
李さん「本当に役にたちました。私がまちがった所があると、直してコピーして送ってくれます」
加藤さん「日本語がずいぶんじょうずになりました。しゃべるのと、聞き取りと」
Q「いつまで、文通を続けますか」
加藤さん「私が死ぬまで続けますよ」
<リポート>
結成して13年目の日中文通クラブの日本側メンバーはいま、2000人。それでも中国側の要望には答えきれないといいます。
<藤井会長の話>
「天安門広場の広さを教えてもらうより、万里の長城の長さを教えてもらうより、その人の家の間取りを知りたいですよ。バスに乗ってどう行くか、個人的なことを知りたいんです。それが人間同士のつきあいですから」
<顔>
「厳しい政治体制の続く北朝鮮の目と鼻の先で数多くの朝鮮族の若者が日本語を学んでいる。参加者はその情熱を実感させられる旅となりました」
<追記>
日中文通クラブでは、中国の若者、特に高校生の文通相手を探しているそうです。
連絡先 〒532−0013 大阪市淀川区木川西1−11−2 日中文通クラブ
рO6−6301−0739 ファックス06−6301−4923
(2000年1月27日)