2003年2月4日〜6日

1日目 2日目 3日目

2月6日(木)ハルピン→北京

 「まんてん」を見ようと思っていたのだが、前の晩のウォッカが残ってかとろとろ寝てしまう。
07:45頃 起床。三女がシャワーをすませるのを待って前日と同じ2階のレストランへ下りる。
08:40 再び2階にてブッフェの朝食。前日よりは混乱しておらず、料理もそこそこ取って来られたが、このホテルにとって何かしら欠けている状態は別に異常ではないらしい。
コーヒースプーンを求めた長女が手に入れたのは、スープスプーンくらいの大きさだった。
用は足りるとは言え……。いや、多くを望むまい。
 1時間近くかけてゆっくり食事し10時前までいたにも拘わらず、朝食客が切れる様子はない。
一瞬「もしかしてこのまま昼のブッフェに突入するのでは」と思う(そんなしゃれたものはないか)。
やはり氷祭り+旧正月は書き入れ時なのだ。


10:30 チェックアウト。
 三女の友人が口を利いてくれたおかげで、部屋代はサービス料と朝食込みで1,499元だった。
五つ星のシンガポールホテルよ、さらば。
11:00 「鈴蘭」2号店に到着(タクシー代19元)。
こちらは繁華街に近い。吉田嬢は我々のために仕事を休んでくれるらしいのだが、まず店に顔を出しお仕事中。
荷物は出発までお店で預かってくれることになっている。
昼には早いが、店の前には黒塗りの高級車が停まっている。
「もうお客さん?」と訊くと「こちらの人は休みの日なんか家族連れで時間に関係なく来て、いつまでもいる」のだそうだ。
テーマパークと勘違いしている? 家でくつろぐ代わりにレストランでくつろぐ、というところか。

 店を出てからは吉田嬢が同行してくれるので心強い。
と思いきや、吉田嬢は「ふだんはアパートと店の往復だし、あまり休まないし、休みの日も日用品を買ったりするぐらいで遊びに行かないから、ハルピンのことはあまり知らない」とのたまう。
土日はおろか毎晩飲んだくれてる次女とはえらい違いである。
ハルピンでの観光、買物、食事の指南も知人から情報を集めてくれたものなのだ。
感謝して神妙に着いて歩く(ほんとか?)。

 まずはすぐ近くのロシア土産店へ。
観光バスが横付けしているだけあって、けっこういい値段をつけている。
前日別のロシア土産店へ行っているので多少相場の検討がつくのだ。
長女は双眼鏡を買うべきかどうかかなり時間をかけて熟慮した結果、諦めた。次女は「ロシア製」という羊の置物を買う。
おそらくは「ロシア国境製」であろうと思いつつ……。

 続けてまた徒歩で、前日も来た中央大街へ。吉田嬢と三女が久闊を辞しながら先を行く。
長女と次女は、二人を見失わない程度に道草しながら後を追う。
しかし二人とも買物の誘惑には勝てず、ついスーパーに入り込む。

長女は「この季節北京にないのよ」と言いながらサヤエンドウを買った。そんなもんハルピンから持って帰る気? 
次女は、前日長女がロシア土産屋で買ったのと同じ、黒龍江特産の黒スグリキャンディーを発見。
ガムよりちょっと長めのものが1本2元、24本入り1箱だと46元におまけしてくれるのだ。
お得感に釣られ買う長女と次女。このあと方々歩く予定なのに、こんな重いもの買って……。


12:00 ソフィア大聖堂着(〜12:45)。入場料25元。
 聖堂内部は省建築博物館となっており、建物を中心とするハルピンの歴史がパネルで展示されている。
ハルピンは元々小さな漁港だったところへロシア人が住み着き、ロシア人街及びロシアとの交易が発展するのに合わせて大きくなった街のようだ。
都市としての歴史は浅く、その体裁が整ったのは19世紀末くらいからだ。

しかしロシアの歴史を引き継いでもいるわけだから、当時建てられた建築物はそれなりの風格を備えており、この大聖堂も中国の他の建築様式にはない重厚さと荘厳さが漂う。
聖堂内の壁には回廊のような通路もあり、ここには信徒から大聖堂に寄進されたらしい、ロシア正教にまつわる装飾品が展示されている。
ただ現在は博物館としての機能のみで、教会として使われることはない。
個人的には惜しい気がする。ちなみに仕事魔の吉田嬢は、ハルピンを代表するこの教会にも初めて来たそうだ。


 大聖堂を後にしてまたまたスーパーに入る。女の旅に買物はつきものである。
ここは量販店という感じなのだが、万引き防止のために自分のカバンは入口で預けなければならない。
北京でもスーパーが普及し始めた頃は一般的だったが、今はかなり少なくなっているこのシステム、わざわざ預けるのは頗る面倒。
ロッカーがいっぱいなので、店特製の布袋に自分のカバンを入れ、施錠した状態で持って入る。

この布袋には取っ手も紐もなく極めて持ちにくい。あくまで店の都合最優先の姿勢に、吉田嬢の「5年は遅れている」というひと言がまた脳裏を過ぎる。
ここではめぼしい東北土産らしいものには当たらず、食品などを少しだけ買って外へ出た。

 次はいよいよ、ロシア料理の昼食である。
張り切ってランウェイさんご推薦の洋食屋に入り、席に着いてダウンまで脱いだのに「ピロシキはない」と言われて次女はちょっと不満。
北京にもロシア料理屋は数軒あるが、ピロシキのある店はほとんどないのだ。
ぜひ、本場(に近いであろう)ピロシキを食べてみたい! と意気込む次女のわがままに引き摺られ、4人は席を立った。
吉田嬢は「大丈夫、食べたいものがなくて出て行くって、こっちではよくあるから」と言ってくれたが、本当だろうか。

花火、爆竹、バンバンOK!

「撮って、撮ってぇ!」って書いてあるけど、
スチック写真って何だ?

店員募集中だよ。


13:50 再び中央大街へ繰り出し、1926年創業のレストラン「露西亜」へ到着。

 ここは初日に発見済みだったが、やはり老舗であった。
中に入ると、重厚な感じの内装の壁に100年以上前からのポートレートやスナップ写真が、額に入れて飾ってある。
いかにも老舗という感じだ。
吉田嬢は「昔からある店だけどサービスは今いちらしいから、冷めた料理が出るかもしれない」と心配してくれたが、なんのなんの、サービスもそこそこで料理もなかなかおいしかった。

 ボルシチ、ビーフシチュー、ラムシチュー、ロールキャベツ、それにもちろんピロシキを注文。食後お茶やコーヒーを頂き、さらに一人一人前(2個)ずつのピロシキをテイクアウトし、しめて312元。やはりちょっと高めかも。

15:30 満足してレストランを後にし、またまた買物。
 地元の銘酒「北大倉」などを思い思いに買い込む。最後、駄目押しでロシア風の大きなパンを買うべくもう1ヶ所スーパーを回ったため、今度は時間が押してきてしまった。
16:05 「鈴蘭」2号店着、荷物整理と着替え。
 外を歩き回って、煤煙交じりの泥の足跡をべたべた残して歩き回る我々を、お店の人たちは嫌がらずに迎えてくれた。吉田嬢の日頃の慕われぶりが伺える。
16:30 お礼もそこそこにタクシーに乗り、一路空港へ。
 乗車前にお店の人が「メーター倒さないでいいから、100元プラス高速代、120元で行ってくれ」と料金を交渉してくれたのはよかったが――。

 なかなか空港高速に乗らないとは思っていた。茫洋とした風景が広がる田舎道を30分近くも走ったのち、高速の側道みたいなところから通行止めの柵をずらして高速に乗り、結局ほんの僅かの距離だけ高速を走り、料金所を通って空港に着いたのだった。
 我々の推測によれば、料金交渉された運転手は高速に乗らずその分を浮かそうとしたのだが、結局高速から空港に入るしか方法はなく、普通に走ったのと同じだけ高速料金を支払うしかなかった、のではないかと思う。

悪いことはできないものである。

17:10 空港着、フライトは18:00、急げ急げ。

 出発便はエアラインによっておおまかに分け、その範囲でどのカウンターでもチェックインできるシステムらしい。
チェックインが遅かったので3人並んだ席が取れず、8E、9D、9Eに分かれた。
 セーフティーチェックへと移動する。
旧正月休暇に氷祭りを見に来たその帰りらしい人たちでけっこう混んでいる。

カギや携帯電話で鳴らないように気をつけて通過したつもりだったが、手荷物の方がひっかかった。しかも3人全員。なぜ?
「酒が入ってるだろう。出せ」と居丈高な係官。
我々「お酒は機内預けできないんだから当然手荷物に入れるわよ」
係官「昨日から、酒類の持ち込みはできなくなったんだ。この通知を見ろ」

 彼が指差す後方の壁には、B5サイズくらいの紙にコピーされたと思しき通知が貼ってある。
液体類の機内持ち込みに関する通知だ。普通の飲み物や薬品類はチェックの上制限範囲内で持ち込んでいいが、お酒類は必ず機内預けにしなければならないらしい。

そんなの知らないよー。だいたいお酒なんて預けられないじゃない。パニックになる我々に係官が畳み掛けた。「チェックインカウンターに戻って機内預けするか、ここで放棄するか、どっちだ」

 我々は「もちろん」何が何でも持って帰る方法を選んだ。
嫌みったらしく「ちゃんとカバンに入れないと預けられないぞ」と念を押す係官の目の前で、買ったお酒大瓶4本(一人1本プラス共通の知人へのお土産)と小瓶2本(これは次女の分)を、三女のカバンに詰め替える。
「もし割れたら、三女の荷物が台無しになる」と心配する長女、「しかたないわよ、預けろって言うんだから」と係官の横柄な態度にカリカリしながら荷物をまとめる三女、それをぼーっと見守る次女、とここでも役割分担(?)。
我々だけが運が悪かったのかとも思ったが、後から検査された一行も酒瓶を指摘され、こちらはあっさり放棄したもよう。
私ら、意地でも持って帰るもんね。

 荷物をまとめ終わり、どこからチェックインカウンターに戻るのかと訊くと、係官曰く「1番ゲート」。入り口に一番近い所だろうと行ってみると、ここでは「あっちに行け」とあらぬ方を指される。
「もう、どっちなのよー」とキレる我々。
搭乗案内が始まる時間も迫っている。
すかさず長女が「さっきの人、今検査に気を取られてるから、今のうち待合室に行っちゃおうよ。
そのまま乗っちゃえばこっちのもんだよ」。
さすが長女、機転が利く、頼りになる。
我々はこそこそと待合室に向かったのであった。

償い弁当を手に、ニンマリ
17:40 搭乗ゲート近くの席を確保し、ほっとひと息。
しかし、ある意味で旅はこれから始まると、誰が予想したであろう。
 なかなか搭乗案内が始まらないなー、とは思っていた。
ほどなく、表示板の出発時間が20:00に変更され、空港の案内係がスピーカーを持って現われた。

「機材調整のため遅延します。7時になったら夕食のお弁当を配ります」。
すかさず何人かの乗客が彼女を取り囲み、北京訛りでまくし立てる。
チビの次女はおもしろがって背の高い北京人の間に入り込み、みんなの言い分を聞いてはふんふん頷いている。乗客はそれぞれ言い立てるのであるが、つまりは「遅延は契約不履行である、なんらかの代替手段を用意せよ」と言いたいのだ。

「輸送約款では、こういう事例は契約不履行には当たらないのよね」とチケットを改めて取り出して読む次女。
さすが元旅行社勤務だ。がそれ以上に、ツアコン現役当時、中国民航のフライトスケジュール変更に振り回され、空港で半日待つなんてザラ、取れていたはずの便から締め出され、お客様の前で泣いて謝りなんとか許して頂いたという実績?を持つ次女にとって、2時間程度の遅延くらい屁でもないのだ。

19:30過ぎ 弁当はまだかなー、とのどかに待っている次女の横で、三女が探し物を始めた。
「搭乗券どこにやったかしら」。
「パスポートとかといっしょに返してもらったはずだよ」と、三人でセーフティーチェック以降の足取りを思い出してみる。
カバンも開けて見てみるが、搭乗券以外のものはしまった通りに収まっている。トイレにも行って、ゴミ箱まで探してみる。

「お酒を預けろ、のどさくさで落としたのかなあ」と長女。
だまてんで待合室まで来たという経緯から、再びセーフティーチェックに戻るのは気が進まないが、背に腹は代えられない。
次女がつきそって、三女と二人でさきほどの場所へ戻った。係官もさっきのやつだ。

三女「さっきここで検査を受けたんだけど、搭乗券を落としてませんでしたか」
係官(隣のブースに向かって)「おい、搭乗券」
隣の係官が搭乗券を持って来た。幸いにもというか、もちろんというか、三女の名前が書いてある。喜んだのも束の間、係官曰く

「で、酒4本どうした。預けたか」
一瞬沈黙する我々二人。まずはしらばっくれてみたが、係官の方が上手だった。
「さあ、待合室に行って荷物を見よう」。
観念する二人。すごすごと待合室に戻り、さきほど慌ててパッキングした三女のカバンを引き摺りながら、外のチェックインカウンターへと向かうしかなかった。

 チェックインカウンターは他の便に乗る団体客でごった返しており、係官はこちらを見てもくれない。
フライトが遅れたことを神に感謝しながら粘り強く待ち、やっと荷物を預けようとすると、こちらはこちらで「酒?そんなもん割れるだろう。預かれないよ」とのたまう。

次女「だって中のセーフティーチェックの人が、外で預けて来いって言ったんだよ。お酒は預けることになったんでしょ」
係官「そいつを連れて来い」

 行きがかり上いちばんの当事者となってしまった三女が、搭乗券を手にしてまた戻って行った。
つくづくご苦労さんである。

ほどなく三女が女性係官を連れて戻ると、係官どうしそこは身内、「やあやあ」という感じで挨拶している。
どうでもいいから早くしてほしい我々。
ようやく荷物を預かってくれたが「割れてもいいんだね」と念を押される。
割れるもなにも、手荷物にできないんだからしょうがないでしょう。
今さら何を言うか。
ふと見ると、チェックインカウンター前の土産物屋には、名産のリキュール類が山と売られている。
規定を知らずここでお酒を買い、僅か数十メートル先のセーフティーチェックで「持ち込めません」と言われたら、泣くに泣けないであろう。
と思うのは次女のような酒飲みだけに共通する心理か。 

 ともかくも機内預けの手続きを終え、最初と同じセーフティーチェックの列に並ぶ。
他で並んで説明するのが面倒なのと、あの憎き係官に「ちゃんと預けた」と言ってやるのが目的だ。

よくよく見ると横の壁にもさきほどと同じ通知が貼ってある。
しかし、誰もが列の前方のみに気を取られ、こんな端っこのこんな小さな通知など見るとは思えない。
「貼ってある」と言い訳するためのものでしかないだろう。

ほどなく我々の順番になった。件の係官が「4本全部預けたか」と訊く。
最後まで嫌味なやつである。
小役人というか下っ端官僚というか、小さな権力を振りかざし市民に対して居丈高になるという、中国それも北京には多いパターンだが、ハルピンでしかも旅の最後に遭遇するとは。

またまた頭の中にこだまする吉田嬢のひと言「瀋陽より5年は……」。

やっと待合室に戻ったところで、表示板はいつの間にか22:00出発になっている。やれやれ、である。後で思えば、行きの北京空港のセーフティーチェックで次女のコンタクトレンズ洗浄液がチェックされたのも、この「液体類持ち込み制限」に係ったものだったのかもしれない。
どうりで蓋を開けて匂いを嗅いでいたわけだ。

 ほどなく弁当の配布が始まった。ごはんと炒め物の弁当とペットボトル飲料を受け取り、おとなしく食べる。今日じゅうに帰れるのかしら。
弁当食うしかないべ

21:30過ぎ 搭乗が始まらないのに業を煮やした乗客たち20人ほどが、インフォメーションカウンターに詰め寄った。次女は一部始終を見聞すべくひょこひょこと後に従う。
 乗客は係員に事情説明を求めると同時に、対応の悪さに抗議している。
最初はカウンターの男性係員が冷静に対応していたが、事態が進展しないので乗客たちの怒りはエスカレートし、当然のごとく「責任者を出せ」という話になった。
興奮した乗客がカウンターの花瓶を投げつけたり、果てはカウンター内に座り込む者も現れ、ついに保安官までかけつけた。
ちょっと怖いと思う次女。でも見ていたい。

 乗客代表は、通知が二転三転したこと、結果的に4時間遅延していることに抗議し、しかるべき補償を求めている。
ほどなく現れたのは女性の「責任者」。細身で中背、ストレートの長い髪を後ろで束ね落ち着いた風貌だが、肌の張りからは30歳そこそこと思われる。
彼女を取り囲んで20人ほどの乗客ががなり立てる。
乗客のほとんどは帰路に着く北京市民で、もともと弁が立つというか理屈好きなところへ強烈な被害者意識を感じているわけだから、それぞれすごい勢いで各自の理論をまくし立ててくる。

もし私がこの「責任者」だったら、勢いに負ける前に取り囲まれた恐怖にひきつって一言もしゃべれないかも、と思うが彼女は眉一つ動かさず、乗客の理論をかわしながら、手にしたトランシーバーで搭乗機のスタンバイ状態を確認している。たいしたものである。

 責任者は最終的に「遅延や不手際に対してはお詫びするが、代替手段や補償となると社の規定に従わざるを得ない。
このようなケースで宿泊の必要がある場合、ツイン1室200元相当のホテルを手配することになっているので、今回はこれを応用し北京到着後の交通費として一人100元お渡しする。

それ以上についてはお答えできない」と言い残して立ち去った。
 この回答を聞いた乗客らは「話にならない。金額の問題ではないが誠意が感じられない」と息巻くが、乗客の間でも、もう1泊しても粘って交渉したい人と、とにかく早く帰りたい人に分かれ意見はまとまらない。

大筋として「もう一段の交渉に持ちこもう。補償金として400元を要求したいところだが、これは希望が高すぎるだろうから、最低200元はもらって帰ろう」というところで落ち着き、一旦解散となった。

22:00頃 搭乗開始。
 「補償問題未解決」を盾に粘る乗客のため、搭乗が進まない。
我々は列の後ろにいて情況が見えず、さすがに好奇心も尽き果ててぐったりである。

やがて乗客が少しずつ機内へと移動し始めた。
係員がお金を持って立っており、一人ずつ受領サインをしているもよう。
順番が来て「補償」を手にしてみると一人100元だった。航空会社の勝ち、である。

意外においしかった機内食

22:52 CZ6505便ハルピンを離陸。
00:30 北京着
 預けた手荷物を受け取り空港ロビーに着いた我々が真っ先にしたのは、お酒のビンが割れていないか確かめることだったのは言うまでもない。
幸いビンは全て無傷であった。
 お疲れさま。

お土産のみなさん↓長女編
 補償問題には後日談がある。
ハルピン旅行の期間中、手にする人民元紙幣が北京に比べて汚れていることが三人とも気になっており「北京はさすが首都、造幣局から下ろしたてのお金が流通してるんだね」と話していたのだが、出発ゲートで受け取ったのもうす汚れた100元札だった。

北京に戻った次女、靴の踵を修理すべく近くのデパートにある修理コーナーへ行き、支払いにはハルピン空港でもらった100元札を渡そうとした。
日本で言うとミスターミニッツみたいな修理カウンターを請け負っている職人さんは、自分の財布からお釣りを出しかけて手を止め、「支払カウンターで払って来て」と改めて伝票を書いてよこしたのだ(中国では支払いカウンターが独立していて、お客がそこまでお金を払いに行くシステムがまだ残っている)。

職人さん、支払カウンターを通さずまるまる自分の収入にしようとしたが、もしかして贋札では、と心配になったらしい。
支払カウンターに伝票と100元札を差し出すと、店員さんはお札をためつすがめつ眺めた挙句、もみくちゃにしたり叩いてみたりしている。汚れているとは思ったが、まさか贋札?

結果的にはお釣り70元を渡され事無きを得たが、最後まで話題の多いハルピンの旅であった。

(了)

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