「アイスキャンデー」 2000.5.24  (5/24 北京22:01)

汗ばむシーズンを迎えたとたんに、北京で爆発的に売れ始めたアイスキャンデーがあります。

その名を「天冰大果」といい、見た目はオレンジ色の厚手のコップ型の氷菓子ですが、中にはたっぷりとバニラクリームが詰まっています。

この商品の魅力は、オレンジフロートを味わう時のように、ひとつで2度おいしいというバラエティ感と、ずっしり140gのボリューム感、そして1.5元という庶民価格のリーズナブル感でしょう。

売れているだけあって、味もまあまあですが、小さな子どもが食べるには大きすぎるような気します。

子どもにねだられた時は、大人が途中で取り上げる覚悟で買い与えよう。


「IT化推進中〜工商局」2001.4.1

北京市の繁華街に掲げられた巨大な看板。
IT化を進めている北京市工商局の先進的イメージをアピールしています。
ところが、この看板のバックの絵柄に注目すると、マッキントッシュの旧型のノートPC、パワーブックの写真がデザインに使用されていることがわかります。

商標乱用を取り締まる側の天下の工商局が、WTO加盟が注目されているこの期に及んで、マッキントッシュに断りなく商品の写真を当局の宣伝のために使用するなんて。。。
絶対にあるはずがありません、よねぇ。
絶対に。




「赤ちょうちん」2001.1.6

日本で赤ちょうちんと聞けば、会社帰りに立ち寄って一杯やるところと相場が決まっていますが、北京の赤ちょうちんはその形状も材質も違うもので、これが街を飾りはじめるといよいよお正月、「春節」を迎える準備が始まったことを意味します。
21世紀、近代的なオフィスビルやホテルも、率先して中国の習慣にのっとって大きな赤ちょうちんをぶら下げて一気に正月気分を盛り上げます。
中には、クリスマスの飾りをそのまま利用するところもありますが、赤ちょうちんは絶対に欠かせません。

2001年の春節は1月24日。公式にはこの日から7日連休に入ります。



「荒療治」2004.6.8

北京では、ここ数年マッサージが大流行。
日本人向けに発行されているフリーペーパーの広告の数をみても、毎月各誌10〜20もの店が宣伝を繰り広げています。

中国のマッサージは、正に「按摩」といいます。
ニヤっとして「アンモォ」と言うと、いわゆる「ファッションマッサージ」を連想させてしまうことがありますので、場合によっては顔の表情を使い分ける注意が必要です。

中国医学の按摩は、病院や診療所のようなところで行われます。
舌を診て、脈を測り、体質に合った処置を施します。

一方、街中のマッサージ店では、客の要望に応じ、ツボを刺激したり、こりをもみほぐすもので、その気持ちよさがやみつきになってしまい回数券を買って通う客も少なくありません。

そして今や北京の按摩は、海外からの観光客にも人気のメニューとなっています。
「万里の長城を歩いて疲れた足をマッサージでほぐしましょう」と、観光バスで乗り付ける店もあるほどですが、本物のマッサージ師の供給が追いつかないため、目が見える盲人按摩など相当数のニセモノが混じり始めたとも聞いています。

1回の所用時間は、店によりますが大体40分〜1時間くらい。
揉むだけでは改善しない症状には、GUASHAやBAGUAN(抜缶)という民間療法を行うことがあります。

【GUASHA】
体にオイルを塗り、水牛の角などでできたヘラでこすります。
写真のように、こすった痕は、真っ赤に浮き上がり、見ているだけで痛々しい限りです。

こすられている方は、見た目ほど痛くはないらしいのですが。。。

【BAGUAN(抜缶)】
アルコールを染み込ませた脱脂綿に火をつけ、ガラスの球の中の空気を暖めて体に吸い付かせます。

吸引力で皮膚と肉が大きなイボのようにモコッと膨らみます。
この膨らんだところに針を刺して血を抜くと、悪い血が抜けて熱が下がるそうな。

揉まれるだけでは満足しなくなったら、これらの荒療治をお試しになってはいかがでしょう。

やっぱり痛いのはイヤという方は、まじめな顔で「アンモォ」してもらうのがよろしいかと。
水生昆虫のコオイムシみたい



「安全姿勢」

1995年、夫婦で北京に留学中だった私たちは中国の正月休暇を利用して司馬遷の墓がある韓城という農村をたずねる計画をたてました。

北京から飛行機で峡西省の延安へ飛び、バスを乗り継いで12時間という行程です。

北京−延安便は毎週木曜日の週に1便。

当時は、正月の帰省に飛行機を利用する客が増えてきたころでしたが、延安行きの切符は、比較的貧しい地域へ向かう便のせいか、週に1便という限られた条件ながら、休暇前ぎりぎりのかけこみでも手に入れることができました。

出発当日、寮のおばちゃんたちに見送られながら大学の留学生寮をあとにし、北京空港へ向かいました。

搭乗時刻が近づくにつれ、出発ロビーに乗客が集まり始めると、同じ飛行機に乗る者同士、だんだん面子が知れてきます。
延安に到着したら、どのバスに乗ればよいなどの情報が交わされるようになります。

延安まではほんの2時間程度のフライトですが、初めて乗る興奮からか、早目に空港入りしたために待ち時刻がそれ以上の客が少なくありません。
その間、カップラーメンや魚肉ソーセージ、ひまわりの種などを口にして時間をつぶしているしかないのですが、時間があれば口を動かしている彼らが去ったあとには、雑食性小動物の小屋に落ちているようなゴミがそこここに残ります。

中国の飛行場や列車、長距離バスの駅には、給湯室が客用に開放されていて、インスタントコーヒーの空き瓶であつらえた蓋付きカップとお茶っ葉を携帯していれば飲み物に不自由しないようなシステムが全国的に行き渡っています。

客らは搭乗の案内があるととたんに、飲みかけのお茶の入った瓶に蓋をして立ち上がり、出発ゲートで待機しているバスに我先に乗り込みました。

バスがいろいろな航空会社の飛行機の合間を縫ってしばらく走ってから止ると、そこには、小さなプロペラ機が我々を待っていました。

自分たちが乗る飛行機を目の前にした乗客たちは、「小さい」と口々につぶやいています。

振り返ると隣にとまっていたジャンボ機をバックにピースで写真を撮っている人がいて、田舎に帰って自分が乗った飛行機の写真を披露するときのことを考えて、大きい方の飛行機を写真に撮って土産にするようです。

中国では、なんでも、大きいことはよいことです。

バスを降りると次はいよいよ憧れのタラップです。
途中で立ち止まっては、ここでも写真を撮る者がいます。
席は指定なのですが、狭い通路の押し合いへし合いはやめられません。
これをやってこそ初めて、乗り物に乗った気がするのでしょう。

飛行機はシンプルな作りで、タラップを上りきったところのすぐ右手に積み荷が見え、左手は奥に向かって座席が並んでいます。
椅子は、飛行機には不向きではないかと思える、映画館のシートのような折畳式でした。

左右二列ずつの合計50席ほどの機内は、飛行機というよりもバスの車内の光景です。
初めて飛行機に乗ったと思われる人たちははしゃいで写真を撮りまくっています。

そうこうしているうちに、出発予定時刻を過ぎたころ、一人の空港職員がトランシーバーを片手に乗り込んできて、浮かれている乗客に向かってアナウンスを始めました。

「この飛行機は150kgの重量オーバーのため飛べません。どなたか二人が降りてくれさえすれば、他の乗客のみなさんがすぐ出発できます。どうかご協力をお願いします。」

私たち夫婦は、目を見合わせました。
「なんてことだ。」

そして、機内の人たちの表情から反応を伺おうと見回すと、なんと乗客全員が、自分の前の座席の背もたれに隠れるようにこうべを垂れているではありませんか。

安全姿勢です。

トランシーバーさんは、後部席から前方に向かって説得のためオウムのように同じセリフを繰り返しています。

客のほとんどは安全姿勢を解きません。
その背中からは、聞こえないフリを決め込んだ覚悟が発散されています。

とやかくするうちに、操縦席からパイロットさんが出てきました。
「いつになったら飛べんるんだよ」とぶつぶつ言いながら私たちの横を通り抜けてトイレへ入ると、しばらくしてから出てきて後部席のあまった座席にどっかと腰を下ろし、たばこを吸い始めました。

スチュワーデスは、爪の垢をほじりながら、冗談まじりに近くの客に「あんた、降りてくれない?」と声をかけています。

「誰かふたりが降りさえすれば。。。」

私たち二人の目に、無言の了解が走りました。

降りよう。

さもないと、何時間でも安全姿勢を続けている人たちと一緒に、飛ぶはずのない飛行機に乗っていることになりかねません。

我々二人が降りたところで、荷物を含んでも150kgに満たないことは明らかですが、この便には、とにかく「ふたり」が降りなければならない事情が発生したわけです。

名乗りを上げた私たちは、そこで始めて外人がいたことを知った職員たちに、お礼を言われながら、30分ほど前に登ってきたばかりのタラップを降りました。

背後では、「みなさーん、親切な日本人が二人降りてくれましたのでもうすぐ飛びますよぉ。」と、トランシーバーさんの声が、安全姿勢を解くおまじないを唱えていました。

航空会社から親切な日本人へのご褒美は、次週便の座席の確保と北京−延安片道運賃無料の条件でした。

一週間の旅に発ったはずの私たちを数時間後にびっくり顔で迎えた寮のおばちゃんたちの感想は、

「飛行機にタダで乗れるようになったんだから、あんたたち、そりゃラッキーだよ。」。




搭乗風景

国内線 搭乗風景(北京)




「ありがごました」2002.11.5

北京には日本料理店は、ごまんとあって、それなりの日本料理が食べられます。

そういう店には、たいてい和服風のユニフォームを着て、それらしく見えるウェイトレスがいます。

だけど、「ありがとうございました。」とちゃんと日本語で言えるウェイトレスはなかなかいません。

そんなときは、
ありがごましたぁ。」とか、「ありゃいました。」というように、なんとなくそれらしい声をかけられながら店を出ることになります。

無理しないで、中国語で「謝謝。」って言ってもいいと思いますけど。







「いけない外人」 2000.1.25

北京に来ている外国人が別の外国人に危害を加える事件が起きています。

私のいる会社に、ある日現れた外人の男ふたり連れは、50元札を2枚、ぴらぴらさせながら100元札に交換してくれと来ましたが、「NO、NO!シッシ!」と追い出して事なきを得ました。

その後、公安からの通達によると、北京でこの手口で偽札をつかまされる事件が多発しているので注意せよとのこと。

ところが、日本人の経営する美容院がやはりふたりの外人によって、まんまと400元を騙し取られてしまいました。
重々警戒していた矢先の出来事ですが、お金を取られたときに被害に遭った人はまるで催眠術にかかったかのように、従順に現金を差し出してしまったそうです。
気が付いたら後の祭り。

警備のプロは、護身用のスタンガンや催涙スプレーの常備を奨めています。
普段から口臭を貯えておいて、いざというときにハーっとやるのは催涙スプレーの代わりになるかしら。



「石野卓球2002」2002.7.1

2000年、2001年と2年連続北京入りを果たしてくれた石野卓球氏、3年目も同月同日を狙って北京までDJにやって来てくれました。(正確には1日違い)

北京のマイナーなライブとはいえ、ご当人にとっては7月10日に控えたベルリンのパーティのリハーサルにもなる肝心なイベントです。

ところが、6月1日から10日間販売の80元の前売り券が日程どおりに発売されず、販売されたのは最後の1日だけだったといトラブルがありました。
11日以降は100元の前売り券が売られ、当日券は150元という設定をみると、早めに前売りを買うつもりでいた客にとっては、興行側の作為的なものを感じてしまいます。

また、前日になって会場が変更になり、ほとんどの客が当日、当初の会場RedBullへ着くなり、会場変更を知らされ急きょLoftへ移動させられるという事態が起きました。

このように幸先が悪かった分、却って期待が膨らみ、夜10時の開演から3人のDJが会場をテクノの爆音シャワーで盛り上げていく中、石野氏の出番を待つのでした。

こうして夜中の1時半を回ったところで、神輿のように担がれて登場した12インチレコードのBOXがDJBOXの陰へと消えると、それを追うように石野卓球氏が姿を現しました。

ヘッドホンをつけて、お好みのレコードをさっさと取りだし、プレーヤーにかけて、さあ、朝までDJ、DJ!

こうしていたのもものの数分だけ


となると思いきや、石野氏がDJ中らしからぬソワソワした動きを見せ始めました。
開始早々音響装置の不調に気づき、低音を出すためにマシンのつまみを必死にいじっていたのでした。
思えば会場に充満している音が、やけにキンキンしていましたが、持ち前の「ズンズン」という響きがないのでは、テクノではありません。

あー、どうしよう。
呆然としつつ、内心焦っているようすの石野氏の訴えに、あわてて集まるスタッフたちが機材のあちこちをチェックしますが、一向になおりません。

20分ほど経過して、石野氏はあきらめたように宝物がつまったレコードBOXと一緒に退場してしまいました。
首を長くしてまっていた演奏が聞けず、wenwenは不満マンマンです。
といいつつ、大変なときにも関わらずサインをしてくれた石野氏にありがとうございます&すみませんでした。

直筆 石野卓球@北京


やさしい石野氏、これに懲りずに来年も来てくださいね。

2001年の石野卓球


「石野卓球」2001.7.3

2001年6月23日の晩は、三大テノールが故宮でその美声をとどろかせ、高額チケットにも関らず三万人が現場で酔いしれたそうです。
さて、同じ晩の、もっとずっと遅い時間に某テクノ系クラブでは、電気グルーヴの石野卓球氏が2年連続同月同日に北京ライブを行いました。
こちらのチケットはアドバンスで100元、当日券が150元。

日本ではキングオブテクノと呼ばれる石野氏ですが、CDジャケットそのまんまのテカテカしたお顔の親しみやすい人でした。

ファン「あっと、卓球さん、サインお願いします。」
卓球「はい。(サラサラ)」
ファン「私、去年のライブにも来たんですよ。」
卓球「じゃあ留学生さんですか?」
ファン「いえいえ、仕事してます。」
卓球「どんなお仕事ですか?」
ファン「***関係の。」
卓球「へーえ。」
ファン「DJやってるんですよ。趣味で。」
卓球「ええっ。DJには見えないですねぇ。」
ファン「はぁ、一応社長ですから。」
卓球「ところで、どんな曲やってるんですか?」
ファン「(パラパラと本のページをめくり、指を指しながら)こあたりのです。」
卓球「あっと、ぼくも今、***に凝ってるんですよ。」
(ふたりしてニヤニヤとうなずく)

この晩、石野氏のライブは夜中の2時半から朝まで続き、踊るアホウもしまいにはぐったりでしたが、ご当人は前夜の上海ライブでの疲れを見せない元気でプロ根性を発揮してくれました。
というよりも、DJが好きでしょうがなくって気づいたら朝だったという感じでした。

また来年も来てください。

2001年6月23日のサイン 2000年6月23日のサイン


「犬と外国人」2004.1.17

北京で犬を飼うには、許可が必要です。
細かい条例があって、大きさや種類によって飼える地域が限定されていたり、散歩する時間が決められていたりします。

今回モデルになってくれた、ダックスフンドのボンボンは飼い主さんがちゃんと手続きをしているので、正々堂々と街を散歩できますが、実際には検疫を受けていない犬や公安への届け出をしない飼い主が相当数いるので、通りすがりにかわいい犬がいてもうっかり手を出すようなことは控えた方がいいそうです。

子犬の時のボンボン

飼い主と犬の情報が記載されます。

正式な飼い犬登録をすると人間と同様に写真入りの「身分証明書」が発行されます。
中国では、人も、ボンボンのような飼い犬についても戸籍を管理をしているのは公安局です。

ボンボンの飼い犬許可証を見ていて、ふと思い出したものがありました。
同じ公安局で発行している「外国人居留証」です。

似ているワン。




「ウィスパー」2001.12.3

中国はいわずもがな人口が多い国です。
人口が多いということは、女性も多く、女性が多いと、生理用ナプキンもたくさん消費されるということになります。

生理用ナプキンには、中国オリジナルブランドから、世界中に名を馳せたアメリカのP&G社製「ウィスパー」や、日本から進出してがんばっているユニチャームの「ソフィ」など、少し品揃えのよい店に行くと数社のメーカー製品が陳列棚にひしめくように並んでいます。

中でも「ウィスパー」は、他社に先駆けて中国製のものにはない衛生的な安心感や使い心地のよさを中国大陸の女性に身をもって覚えさせ、広く浸透したことで、この分野の商品にもブランド志向を植え付けることに成功しています。
その結果、「ウィスパー」はニセ物に市場を脅かされることになりました。

「ウィスパー」は中国名を「護舒宝(hu shu bao)」といい、あざやかな青の包装で商品イメージを伝えています。

にせウィスパー

「ニセウィスパー」は、印刷からその青い包装をそっくり真似ています。
では、中身はどうかといえば、こちらはなかなか真似ることができないようで、「夜用特長28cm」と表記しながら、実際は「昼用22cm」がパックされています。

ナプキンそのものの質は、国内製品のレベルで、個々の包装も簡易ですので、どんな衛生状態の下で製造されたのか怪しいものです。

そしてなによりも、本体外側の下着に貼り付ける「のりテープ」部分をカバーする紙に印刷されたトレードマークがニセ物らしさをかもしだしています。

「ウィスパー」のトレードマークは、女性がのびやかに四肢を大の字にひろげてジャンプをしている図案ですが、ニセ物に印刷されているマークは、そのまま「大」の字です。

丸大マーク

この手の「ウィスパー」は、中国各地にある「小商品市場」と呼ばれる少量から卸売りをする雑貨市場で流通しています。
おそらく仕入れは、本物の1/2から1/3程度で、売値は本物とほぼ同じで消費者の手に渡っていることが多いようです。

その後、ウィスパー側も策を投じたか、トレードマークを「大」の字とは似ても似つかないものに変えました。
それで「大」の字のニセ物が消えたかといえば、その勢いが衰える様子はありません。

トレードマークを変えたくらいでは何の効果もありません。

「ウィスパー(whisper)」では聞こえないみたいですから、いっそ「ラウド(loud )」してみますか。



「上を向いて歩こう?」2004.8.17

以前よりも少なくなったものの、北京では、一般の道で蓋がないマンホールや排水溝に出くわすことがあります。

金属製のフタを盗んでは鉄くずとして売り払ってしまう者がいるからだそうです。
そのため、鉄の代わりにコンクリート製のフタが使われているところもあります。

いつになったらこの穴にフタが付くのか、誰もわかりません。

北京では、上を向いて歩いてはいけません。


「ウサじい」2004.11.22

中秋を迎える頃、北京の風習を重んじる家庭では、明の時代から伝わる「兎爺」という泥人形を飾って子供の健康を祈願します。

昔はこれで子供をあやしたり、おもちゃにしたりもしたそうですが、今の日本なら「ウサじいキャクターグッズ」というところでしょうか。

それにしてもこのウサじい、怖いような、かわいいような

●ウサじい http://211.9.193.53/profile/index.html




「うた」 1999.3.18

北京のカラオケで、日本人の歌を聞く機会があると、日本人ってみんな歌が上手だなぁ、とつくづく思います。

あくまでも私の主観ですけど。
北京には、おんちというよりも、人に聴かせられる歌を歌うことを苦手とする人が多い、しかも、本人にその自覚がないらしい。

小指を立ててそっとマイクを握り、ささやくように裕次郎のバラードを歌っちゃうスーツ姿の日本人駐在員なんかいると、北京のカラオケのおねえちゃんたちはコロッといってしまいます。

一方、北京のおじさん達は、マイクの代わりにモップの柄でも握らせたいくらい大声を張り上げて歌うのが主流で、どこのカラオケに行っても建物の外にまで声だけははっきりと聞こえてくるものです。

北京では、人の歌を聴くのにわざわざカラオケに行く必要はありません。
あらゆる場所で、いろいろな人が、ちょっと古い流行歌をくちずさんでいる場面に出くわします。

あるタクシーの運転手は、私を助手席に乗せて、行き先を確認したとたん、だみ声で気持ちよさそうに歌謡曲を歌い始めました。
一曲歌ったあとに「この歌知ってるか?」と聞いてくるので、「知らない。」と答えると、「じゃあ、これは?」と、2曲目を歌い、さらに「知らない。」と言い返すと、3曲目も歌い始めました。
こうして約30分、計6曲を聞かされて車を降りましたが。
最後に彼が言ったセリフが、「あんたも中国で働いていくなら、俺が歌った歌くらい知っていないとダメだよ。」

お金を払ってむりやり歌を聞かされた挙げ句の果てがこれです。
私だって、あの歌からは原曲を想像すらできなかったと言わせていただきたい。

ある日は、エレベータで、見知らぬ青年とふたりきりになったとき彼が歌い始めたときは、危険すら感じました。

またあるときは、レストランで、メニューを見ている間、オーダーをとるウェイトレスが待ちきれなかったのか、歌い始めてしまったことがあります。
これがサービスだとしても、喜ぶ客がどれほどいるでしょうか。

路上では、自転車や三輪車を走らせながら、音程をすっかりはずした歌声がドップラー効果で寄せては引いていきます。

路上で人目かまわず気持ちよさそうに歌う人たちは、ほとんどが地方から来た外地人と呼ばれる人たち。
音感教育とはあまり縁がなさそう。
選曲はおのずと郷愁にじむ、かつての流行歌。

私も、外地人のはしくれ。
自転車をとばせば、おもわずくちずさむオーロラ輝子。
端で聞けば、まぎれもなく五音不全(おんち)です。




農村の結婚披露宴
農村の結婚披露宴 (韓城)



「売ってはいけない」2002.5.18

2001年9月11日のテロ事件後、一時出回ったものの中国政府の販売禁止令で幻グッズとなったというオサマビンラディンをモチーフにしたキーホルダー。
デザインは、なぜか緑色の招き猫型と、黒ぶち模様の犬型。
お腹を押すと体内に詰まっている「スライム」が、目玉になってムギュっと飛び出します。







「梅川さん」 2000.4.8

ある日、会社の朝礼で、職場の責任者が社員たちに「梅川さん」を紹介しました。
梅川さんとは、前日まで同じ職場で「王 輝」という名で、運転手を兼ねて各種業務をこなしてきた働き者の社員です。

彼は、日本語を習ったことはありませんが、日ごろ私たちの話す日本語を聞いているうちに耳が慣れ、「ただいま」「失礼します」「ありがとう」「ちょっと待って」「すみません」など、簡単な言葉を話すようになり、時折通訳なしで業務連絡が理解できるほど、日本語を聞き取る勘が鋭くなりました。

こんな梅川さんも以前は、中国の抗日映画によく出てくるせりふで覚えたおかしな日本語しか知りませんでした。
例えば、運転中に危ない運転をする車がいたりすると「バガヤルー」、これはばか野郎の意味ですが、映画では日本人が同胞や中国人をしょっちゅうこのような言葉で罵っているシーンが登場します。
悪い言葉ほど覚えやすいものです。
また、同僚と冗談を交わしているときにふざけて言うのは「スーラスーラデー」、これは日本の軍人が中国人に向かって日本刀を振りかざしているシーンで言うセリフで「死ね、死ね」という意味の言葉です。
外出の際に「行ってきます」の代わりに「トツゲキー」と言い、ランチに行くときは、これも映画でよく使われる「メシメシ」など、あまり会社で使うにははふさわしくない言葉ばかりでした。

梅川さんが、日本人といっしょに働くようになって1年たちました。
友好的なアットホームな雰囲気の職場で、日本人が必ずしも抗日映画に登場する軍人さんのような人ばかりではないことがわかってきたようです。

そんなある日、彼がせっかく日系の会社にいるのだから自分に日本名をつけることにした、と名乗った名が、姓を「梅川」、名を「一夫」と言います。
同僚たちからは、「いい名前じゃない」「演歌歌手みたい」「日本人っぽい」と評判上々です。

ところが、この名前を中国語読みしてみると、中国人がふざけてつけた名前だということがすぐにばれてしまうのです。

梅川一夫 = mei chuan yi fu = 没穿衣服、なんと服を着ていないという意味になるのです。

「名は体を表わす」といいますが、彼がいつか名前通りになってしまう日が来ないことを祈っています。











「映画」 1998.5.10

実はわたくし、大の映画好きで、日本にいたころはレンタルビデオ店のお得意さんでした。
あんまり毎日通うので、ついでに店で働き始めてしまったほど。

北京で暮らし始めたころ映画には不自由しました。
ビデオデッキはあっても、レンタルビデオ屋があっても、見たい映画がないのです。

大好きなフランス物などは皆無。
あー、思いっきりトレビアーンな映画に浸りたい。
と、ないものねだりはこのへんにして、

北京で、映画を見る場所というと、大体
1.自宅でテレビを見る
2.映画館で見る
3.ビデオ館で見る
4.自宅でVCDで見る
の4種類に分かれます。

テレビでは、カンフーとアクション、ラブロマンスものそれと戦争映画が多いようです。
とにかく中国人はカンフーやアクション映画が大好きです。
いい大人が、糸でつられて空(くう)を飛んだり、ひとりで50人くらい素手でやっつけてしまう、または、機関銃をひたすらぶっぱなす。
この手の映画は香港経由ではいて捨てるほど入ってきます。
そんな映画を、見ている方は仕事もこれくらいまじめにやれば、と言いたくなるくらい真剣な表情で見ます。
こんなわたくしも、結構マジに見てしまうのですが。

戦争映画は、100%近くが日本軍が中国で悪いことして、天罰を受けるパターンです。
日本人を演じる俳優がどうも日本語を言っているらしいのですが、聞き取れないときがあります。
はっきりと聞き取れるのは、「ばかやろう」「よし!」の二言くらい。
北京で上の二つの日本語は、日本語を知らない中国人でも知っています。
中国製戦争映画のおかげです。

映画館では、いわゆるロードショーが上映されます。
今は「タイタニック」(中国名「泰担尼克号」)が連日相当数の観客を動員しています。

中国の人たちは、こう見えても(ごめん)とってもロマンチック。
映画や、小説はロマンスたっぷりのものが大好きです。
例えば、「マジソン郡の橋」は、しばらくたいへんな人気でした。
そんなわけで、目下のところ「タイタニック」が話題総ざらいです。
本屋に行けば、タイタニック特集の雑誌が山積みで、CDも海賊版がすぐ出ましたし、日本の版権を無視してコピーされたブロマイドなどもあちこちにでまわっています。
主役のディカプリオ君は日本のギャルだけでなく中国のギャルたちまで、とりこにしてしまったようです。

北京では、映画館で上映される映画にまで中国語の吹き替えがほどこされています。
ですから、シュワちゃんも、キアヌリーブスも同じ声だったりします。
更に、中国語の字幕がつくこともあります。
「これであなたも中国語がマスターできる教室」みたいですね。

タイタニックでは幸いにも英語のセリフに中国語の字幕でしたので、俳優のイメージやムードも壊されず、ストーリーもよくわかりました。

映画館にも、
1.工人文化宮タイプ
2.大人数動員タイプ
3.環境尊重タイプ
というふうに種類があります。

1.は、労働者のための娯楽場の一部にある映画館で、チケットは10元くらいからで安め。
設備や客層がよくないので、きれいな格好では行かず、その他大勢と一緒に映画鑑賞会に参加する意気込みが必要。

2.は、一般の映画館で、1.と料金設定、設備とも大差ありません。
観客は、思い思いの食べ物、飲み物を持ち込んで、自宅でテレビを見る感覚で映画を見に来ます。
カンフーやアクション、コメディ映画を見るときは、1.2.の映画館で十分です。
笑うときは大声でげらげら笑って、俳優の動きに合わせてみんなで掛け声をかけたり、拍手をしたりと、観客全員参加の映画館です。
ロンドンで「ダイハード2」を見たときも、そっくりでしたけど。

3.になると、料金が40−70元と、非常に高くなります。
客層もリッチ系と大人が多くなり、静かに鑑賞できます。
料金は、上映時間で変わります。
タイタニックを例にすると、午前 40元、 午後 50元、 19:00 70元、 22:30 40元 という具合です。

この手の映画館には、ラブラブシートが用意されています。
二人ずつぴったり座れる座席で、となりのアベックとの間には仕切りが
あるので、隣同士の様子がわからないようになっています。
なかなかイキなはからいでしょ。

では、3.ビデオ館で見るとは、どんなものでしょうか。
ビデオ館は盛り場に、20-30名詰め込めるスペースがあってその名のとおりビデオまたは、フィルムを大型テレビや、黒板大スクリーンに映して見るところです。
料金は2−5元程度で、2,3本立てになっています。
映画のジャンルは、カンフー、アクション、ホラーからアダルトまでいずれもB、C級映画です。

特にアダルトは、上映禁止のはずですが実際には一部の怪しいビデオ館で上映されていて、お題目は性教育映画。
アベックで見に行くところが、みそです。
この手のビデオ館の近くには、主に避妊具や精力剤を扱う薬店があります。
元をたどれば同じ経営者だったりして。

まだ、アダルト館には行ったことがないので、いつか探検してみよう。

4.自宅でVCDで見る
VCDとは「Video CD」の略称で、日本を除くアジアで庶民に浸透している画像ソフトです。
マシンの外見は、ビデオデッキのようで、ソフトの外見はCDと同じです。
ソフトの価格は、本物は50元くらいからですが、海賊版がほとんどで1枚10元くらいから手に入ります。

本物は専門店で購入しますが、海賊版は日暮れ時の路上で買うことが多くなります。
海賊版のささやき販売は、道を歩いているとすれ違いざまに「VCDいらないかい。」とささやいて来ますので、すかさず「要る。」と答えれば、人目につきにくいところに隠れて取り引きするようになっています。
公安の取り締まりを恐れての行動ですが、今やあたりまえの商売になっていますので、何も隠れる必要もないのに、一応しきたりを守ってコソコソしているようです。

海賊版の映画はB,C級ばかりなのですが、ロードショー上映されたような映画が、たまにまじっています。
得した気がして見てみると、それは映画館に観客として入場した人が画面をビデオに撮って、そのビデオテープをソースにVCDに作り直したものだったりします。
意味がわかるかな?
ということは、録画した場にいた観客の笑い声とか、お菓子の袋のカサカサ音までVCDから流れてきます。
なんという臨場感でしょう。

最後に映画のタイトルをいくつか中国語でご紹介しましょう。

雨人 レインマン
魔鬼終結者 ターミネーター
沈黙的羔羊 羊たちの沈黙
煤気灯下 ライムライト
機器戦警 ロボコップ




「エレベーター」
 2000.4.6  (4/6 北京20:20)

日系スーパーマーケットの北京イトーヨーカドー(以下略してIY)は、日ごろから床が落ちるのでは、とか、エスカレーターが止まるのでは、と心配したくなるほどの混み具合で有名です。
特に週末の買い物客の入りは恐ろしいほど。
出入口から出ようとしても入ってくる客に押し返されるくらいなのですから。
日本あまたのデパートが聞いたら歯ぎしりしてうらやむことでしょうね。

ある中国の祝日、日本そっくりに作られたIYの売り出し広告につられて買い物へと出かけてみました。

その日の私のターゲットは四階で売られている電気なべ。
一階から順ぐりにもろもろの買い物をして、電気なべを買い終わったときは、買い物袋が両腕に食い込む重さでエレベータまでたどり着くのがせいぜいでした。
折りよく上から降りてきたエレベータのドアが開くと余裕のスペースはちょうど一人分。
ラッキー!と、心でつぶやいて乗り込みました。
ほぼ満員となったのエレベータは、ドアを閉じると、スゥッと階下へ降りてきました。

そして、予想通り、乗っている客は誰も望んでいないにもかかわらずエレベーターは三階で止まりました。
開いた扉の向こうには、箱の中が満員なのを目にしてがっかりしている客たちが立っていました。
と、その中から、三人の親子連れがぐいっと前進してきて、ぎゅうぎゅう詰めの箱に乗り込んできたのです。

親子三人のうち、まずは母ちゃんが乗ってきました。
とたんに、エレベーターは重量オーバーを告げるブザーが鳴り出しましたが、続いて、身長180cm、ウエスト100cmはありそうな父ちゃんがムギューと乗りこんできました。
最後に控える肥えた娘は、父ちゃんに手を引かれるままぐいぐい押し入ってきました。

奥でぺしゃんこになっている客たちが口々に親子に向かって意見し始めました。
「降りてください。」
「重量が超えています。」
「ブザーが鳴っているでしょう。」

ブザーの音は、どちらかというと弱気な音質で警告の効果があまり見込めません。
館内放送や売り場の景気付け音楽と中国人の大きな話し声にかき消されて、耳を澄まさないと聞こえないくらいです。

父ちゃんと、母ちゃんは、口をへの字に曲げて応戦します。

「ふん、あんたたちだけエレベーターで降りようったってそうはさせない。私らだって待っていたんだ。」

客たちが親子に浴びせる言葉と、父ちゃんが言い返す言葉は少し意味がずれているようです。
IYのエレベーターは奥の一面が透明になっていて、店内ホールの吹き抜けを上下していますので、遊園地の乗り物みたいな感覚でエレベーターに乗る客も少なくないのでしょう。
父ちゃんは、とにかく自分の家族を楽しいエレベーターに乗せてやるためにIYに来たのかのようです。

とは言うものの、警告ブザーが鳴り響いている間はドアは閉まらず、上にも下にも行きません。
せっかく乗っても、動かないエレベーターでは何の楽しみもありません。
あまつさえ、彼らが立っている位置からは、ホールの吹き抜けを見下ろすことすらできないのです。

エレベーターの中では、軽い言い争いが始まりましたが、親子の頑固さに音を上げたか、人圧に耐えられなくなったのか奥からおじいさんがにゅーと外へ出て行きました。
すると、おじいさんにつられたかのように一組のアベックが手をつないで降りていきました。
三人乗って、三人降りたのに、エレベーターのドアはまだ閉まりません。

知らんぷりをきめこんだみんなが宙に目配せをした瞬間のあと、一人の男性が「やってらんねぇ。」と言いながら降りていきました。

ところが、ブザーはまだ鳴り止みません。
降りた人たちは、なぜかみな細身体型だったのです。
クスクスと笑い声が漂い始めました。

天井を向いて仁王立ちしている父ちゃんに降りる様子はみじんもありません。

もう、しょうがないわね。
両腕がしびれかかっている私は、一刻も早くどこかに荷物を降ろしたい一心で、プイっと箱を降りました。

すると、あたりまえではあるのですが、ブザーはピタッと止んで、恨めし気に振り向いた私の目の前でドアが静かに閉まり、かすかなモーターの音と共に階下へ降りて行きました。
居合わせた客の誰よりもエレベーターから「降りてくれてありがとう」と言われたような気がしました。









「押し」 2000.4.1

北京の人は、日本の人に比べて、他人に触れることや触れられることに抵抗が少ないようです。
一旦、人の集まる場所に足を踏み込めば、見知らぬ人から押されたり、ひじで小突かれたり、気づくと自分の周囲に見ず知らずの人がぴたっとくっついていたり。

デパートで品定めをしているときに、自分とショーケースの間にグイッと入り込まれたり、左側が空いているのに、わざわざ右側にいるこちらが押しのけられたりするのです。
例えば一言、「ちょっと失礼」と声をかければ、自分も動きやすいし、押しのけられる側も、快く譲れると思うのですが、その一声をかけられない人が多すぎるので、突っつかれるたびに不快指数が上がります。

ある日デパートでショーケースを覗いて商品吟味の真っ最中に、店員自らが職務遂行を盾に、客であるこの私のわき腹を肘鉄で突いてきました。

   な、なに!?
   くやしいからこっちもやりかえしてやろうじゃないの。
“グイッ、グイッ”ちょっとはやられた方の気分を味わせてみようと意地悪な気持ちになって、肘鉄を真似てみますが、敵はダウンジャケットの上から蚊に刺されたみたいな風です。
これでは肘鉄しただけ損した気分です。

そんな体たらくの私に反して、周りの人たちは、まるで挨拶の交歓のように他人を押したり突っついたり、くっついていたりしています。

北京はどこに行っても人が多いところです。
人を押しのけたり押しのけられたりは、彼らにとって全くの日常茶飯事で、歩くときに両腕が前後に振れることと同じくらい自然な行為なのかもしれません。

日系スーパーで見かけたある日本人の一見40代の主婦は、話す中国語はほとんど形になっていなかったものの、肘鉄だけはしっかりマスターしていて、それは見事に中国人の人ごみをかき分けて前進し、特売品をゲットしていました。

北京で生きていくための術として、彼女に本能的に身についたのは、言葉ではなく「押し」だったのです。



「おすわり金魚」2002.10.16 更新をなまけていた反省の気持ちをこめて

北京の某高層アパートの入口にある水槽に、底に沈んだまま、まるでおすわりしているような金魚がいました。

コロっとした体型に小さな丸い目がかわいい金魚です。
いつも「静か」に「沈んだまま」なので、"シズ子ちゃん"と名づけて、毎日声をかけてやっていました。

シズ子ちゃんは、他の金魚たちのようにヒラヒラと泳ぎまわることはないのですが、見るたびに顔の向きや位置が変わっていましたので、這うことはできたようですし、小さな口が始終パクパクと動いていましたので、元気だけどただの変わった金魚だと思っていました。

そして、いつか「北京あいうえお」で紹介してあげようなどと考えつつ、なかなか実行しないまま時がたってしまいました。

シズ子ちゃんに出会って2ケ月ほどたったある日、シズ子ちゃんの姿が水槽から消えていました。

もっと早く「北京あいうえお」で紹介しておけばよかったと後悔しています。
ありし日のシズ子ちゃん





 「おっぱい」 1998.9.6


中国のある地方で、大雨で川が氾濫しました。
どろ色の湖と化した村や町では、たくさんの兵隊が動員され日夜土嚢を積み上げる作業についています。

その映像は、ニュースや特別番組で人民や私たち外人の目にも届きます。

泥一色の土地には、まるでアリのように働く兵隊たちがいます。
働きアリの兵隊に混じって、応援隊が歌を歌ったり旗を振って士気をあおぎます。

ちらちらと女性の姿も見えます。
炊き出しや洗濯など兵隊の身の回りの世話に借り出された村人です。

ある女性が、裸になった兵隊の背中についた傷に向かって胸を押しつけるようなポーズをとっています。

黒く陽に焼けた兵隊の背中の赤い傷に白い汁がポトリ、ポトリと落ちました。

女性はおっぱいを絞っていたのです。
女性は笑顔ながらも力を込めて、出の悪いお乳を絞っています。

ある兵隊は耳の裏におっぱいをたらしてもらい指ですり込むようなしぐさをしています。

おっぱいの意外な効能を垣間見ました。


「男湯」 2000.6.22

北京の某アパート13階にある私の家には眺めのいい部屋があります。
その部屋は西と北に面した壁がすべて窓になっていて、北京の夜景を望むのにもってこいです。
仕事から疲れて帰っても窓から外を眺めるだけで、いい気分。

ところが、アパートの北側のどぶ川をはさんだ位置に建築中のビルが建ち始めました。そのビルは日を追うごとに高さを増し、とうとうパノラマの一部がビルに阻まれてしまったのです。

隣のビルは、まだコンクリート色のはだかですが、北京に多いタイプのホテルとオフィスビルに高級アパートとマーケットを備えた大型ビルのようです。
建築に2年はかかると思われる大規模な工事です。

13階の窓からは、建築現場全体の様子を見下ろすことができますが、そんなに大きな建物の建築ですので、携わる人の数も相当な数です。
クレーンが回り、鉄材のぶつかり合う音の中で、溶接やセメントを流し込む人たちが作業をしています。

現場には、飯場用のプレハブも立ち並んでいます。
2階建ての宿舎が7棟もあるプレハブの中は2段ベッドがびっしり組まれて、数百人の労働者が寝起きを共に働いていることがうかがい知れます。

男女平等をうたう中国ですが、そのビルの敷地では、現場にも飯場にも女性の姿はありません。
まるで、塀に囲まれた男の国です。

「男的国家」に働く男たちは連日の猛暑にもへこたれず肉体労働に従事し、夕刻になると屋外に設置されているシャワーで汗を流します。

えっ?男共和国の男湯のことをなぜ女の私が知っているのかって?

私の家には眺めのいい部屋があります。
仕事から疲れて帰っても窓から外を眺めるだけで、いい気分、なんです。



「おねだり」 2000年3月20日

私が中国で初めて乞食を見たのは上海の長距離バスのりばでした。
小雨まじりで吐く息も白い肌寒い日に、裸同然で金属製の首かせをつけられたガリガリの子供を見たときは目の前の光景が信じられませんでした。
ショックでした。
共産主義のお国に乞食がいるなんて思いもよらなかったからです。

その後、北京人民の生活が豊かになるにつれ、上海で見たような子供こじきを見ることが多くなりました。
物乞いのばっちい子供にたかられると、驚きで足がすくんでしまうか、逃げ出してしまいます。
そう、ちょうど狭い路地で苦手な人に出くわしてしまったような瞬間を感じるのです。
ちょっと憐れみを見せて、1元札を差し出したとたん、どこからともなく父兄やら隣人(多分)やらが出現して両手のこぶしを合わせて、おねだりに加勢してきます。

日暮れになると、道のあちこちに散らばっていた同朋が集まって、その日の収獲を数えている彼らを見かけると、あの勤勉さをいわゆる定職で生かせれば、子供を学校に行かせてやることもできるだろうに、と思わずにいられません。

-*-*-

「日本は豊かで、中国は貧しい」というフレーズを平気で口にする中国人がいます。
それを聞いた私は、胸の内で「だ、か、ら?」と聞き返してしまうのですが、豊かな者が貧しい者を助けるのは、人としてあたりまえでしょう、と言いたいようです。

中国でも名を馳せた日本の大企業によっては、中国とのお付き合いやら、人道的支援やらで寄付活動が盛んに行われています。
なかば義務のようになっている、婉曲のおねだりが根回しされているのです。

日系のある商社が北京の某研究機関にパソコンとネットワークシステム一式をプレゼントすることになりました。
商社の太っ腹の申し出に、もらう側は大喜びです。
商社は、さてパソコンは何台にしよう、スペックはどうしよう、ネットワークはどのようなものがよいだろうか、思案思索の末、プランを提示したところ、中国側は、「おタクみたいに大きな会社なら、もうちょっと便宜が図れるでしょう。」と応えてきました。
大企業のプレゼントの割には、なりに合っていないのでもっと高いものをちょうだいと言ってきたのです。

商社は、ふんぱつしました。

こんなによいパソコンやネットワークをいったい誰が使いこなせるというのか、というくらいのものを贈ったのです。

贈呈の日、パソコンが届くやいなや、受け入れ側の職員は、ハイエナのごとく機器一式の梱包を解きにかかり、口にした言葉が、「けちなモノばかりだ」でした。

贈呈に立ち会った日本人たちにはわからないだろうと気を許して、中国人同士でぺらぺらと今届いたばかりの、まだ工場の匂いが残るパソコンを指さしながら、こきおろし合戦をはじめたのです。

立ち会った日本人たちは、言葉を失いました。
彼らが話すことが、八分通りわかったのです。
本当にわからなければ、ニコニコとあほ面下げていられたかもしれません。
ところが、わかっちゃうのですから、嫌気がさします。

乞食に「腹が減って歩けません。どうかお恵みを〜」と言われて、「では、これでもお食べなさい」と善意で食べ物をあげたところ、「ケッ、まずい!他にもっとうまいものはないのか」と言われたような心境ではないでしょうか。

人様からいただいたものを当人の目の前でけなすような習慣がまかり通ってよいはずがないと思っていても、学歴も高く教養もある研究機関の職員が、ここまでやってくれるのです。

読み書きできるかどうかも知れない親を持つ物乞いの未就学児が外人に1元をたかるなんてかわいいものです。
もらったお金にケチをつけるようなことをしないだけ、もしも友達になるなら子供こじきの方を選びます。

-*-*-

思えば、中国と日本の間では、円借款やODAやらとお国単位の付き合いの上でも似たような事態が起きています。
「日本人とみたらたかれ政策」が、人民に浸透しつつあるなんて、老江もさぞかしうれしいでしょう。



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